「俺が人質になる」現場で指導力発揮 支持率8割、素顔のドゥテルテ大統領(2)

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姪っ子のマギーも熱烈に応援していますが、なぜそこまで人気があるのか聞いたところ「私利私欲が全くないから今までの政治家とは違う」と言っていました。 (⌒-⌒)

 

ソース元

フィリピンのマルコス独裁政権が1986年に「ピープルパワー革命」で倒れると、検事として不正摘発で名を上げたロドリゴ・ドゥテルテ氏は、ダバオ市の副市長に任命された。

88年に43歳の若さで市長に当選したドゥテルテ氏は、世界中にとどろく凶悪な事件に直面した。

機関銃を首から提げた市長時代のドゥテルテ氏(1990年代半ば、ダバオ市)=ロイター

 

「俺は丸腰だ。代わりに人質になるから、少女を解放してくれ」。89年、ダバオ市の刑務所で受刑者16人がオーストラリア人宣教師ら15人を人質にして立てこもった。現場に駆けつけて陣頭指揮をしていたドゥテルテ氏は、看守から奪った銃で武装している集団におもむろに近づいた。

ドゥテルテ氏は、待遇改善を要求する受刑者に他の刑務所への移送などを提案。武装集団は人質の一部を解放し、交渉は進展した。

ところが、事件発生から3日後に軍が強行突入。激しい銃撃戦の末、人質5人を含む21人が死亡した。

一歩間違えば、命を落としていたかもしれなかった。検事時代の無鉄砲ぶりは、市長になって一段と拍車がかかっていた。

当時のダバオ市は、フィリピン有数の犯罪都市だった。殺人や誘拐、強盗は日常茶飯事で、共産党系の武装組織「新人民軍(NPA)」のゲリラ部隊によって、数多くの軍人や警察官が殺された。日が暮れると、人の姿はもちろん、車も町から消えた。

軍や警察は、戒厳令時代の特権意識が抜けていなかった。「この店の前で、彼は横暴な警察官の顔を銃で小突いて叱っていたよ。俺は本気だぞって」。

ドゥテルテ氏と一緒に空手教室に通い、大学時代は同じ寮で過ごしたケン・アンヘレス氏(73)は、経営するレストランで振り返った。「学生時代の彼の関心は、銃とバイクと女性だけだった。銃の扱いにはたけていた」

 

自らタクシーを運転し犯罪に目を光らす

治安回復を公約に掲げて市長になったドゥテルテ氏は、人知れず街を見回り、自ら犯罪者と対峙した。

市役所への出勤は午後から。

日付が変わる深夜まで、借りたタクシーを自ら運転して目を光らせた。知らずに乗り込んでくる市民を目的地まで送り届け、驚く市民には「市長の給料が安いからね」とうそぶいた。

ドゥテルテ氏とバイク仲間で旧友のケン・アンヘレス氏(2016年11月)

 

犯罪の撲滅には「ダバオ・デス・スクワッド(DDS)」と呼ばれる処刑団が暗躍したとされる。構成員は元NPAメンバーや警察官で、麻薬密売人などの犯罪者を私的に殺害したという。

国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは15年、DDSが90年代後半から1000人以上を殺害したと指摘し、ドゥテルテ氏が関与しているとした。ドゥテルテ氏は地元テレビのインタビューで「自分もDDSだ」と冗談めかしたが、現在はDDSの存在を否定している。

ダバオ市の旅行会社に勤めるルースさん(24)は、薬物犯罪者だったいとこをDDSとおぼしきバイクの2人組に殺害された。それでもドゥテルテ氏を全面的に支持すると話す。

「悪いのは犯罪者。治安を守るには強いリーダーシップが必要よ」。市中心部に住む女性(59)は「家の前で2回死体を見た。いまもDDSが活動しているのは間違いないわ」と声を潜めた。

強硬な取り締まりによって、ダバオ市の治安は劇的に改善した。都市比較サイト「Numbeo」が犯罪発生率の低さで比較した「安全な都市」では、12年に世界5位となった。

人気の理由は、治安改善だけではなかった。ドゥテルテ市長は毎週2時間ほど、各部局の幹部を従えて、市民から直接陳情を聞いた。

 

市民の陳情受け、その場で「仕事しないとクビ」

ある市民が「自宅に泥棒が入ったと警察官に話したのに何もしてくれなかった」と不満をぶつけると、その場で警察幹部を「ちゃんと仕事をしないとクビにするぞ」と叱責した。

「親戚が治療費を払えず退院させてもらえない」と相談された時は、保健部門の幹部に「治療費は俺が払うと、今すぐ病院に電話して伝えろ」と指示した。陳情の場には、いつも100人以上の市民が並んだという。

週末には地元テレビの番組で司会を務め、市政について市民に語りかけた。一般市民にとって、ドゥテルテ市長は頼れる身近な存在だった。

昔から変わらない堅実な暮らしぶりも支持される。00年ごろから住むダバオ市にある2階建ての自宅は、両隣にある弟と次男の家より質素なたたずまい。

大統領になった今も2カ所の検問を受ければ近くまで行けるので、新たな観光名所となった。

ダバオ市にあるドゥテルテ氏の自宅。敷地に入って記念撮影する観光客も(2016年11月)

 

マニラから来た会計士の女性(60)は「うわさ通りのシンプルな家だわ。やっぱり庶民の味方ね」と話した。ドゥテルテ氏は毎週末、約1000キロ離れたマニラから自宅に戻って、事実婚状態の2番目の妻と12歳の娘と水入らずで過ごす。

市長を3期務めた後、ドゥテルテ氏は下院議員となり、01年から再び市長を3期、副市長を挟んで、13年からは7期目の市長を務めた。

市長として合計20年以上の執政を通じて、犯罪の撲滅とともに公共の場所での禁煙や深夜の酒類販売・カラオケ禁止、車の速度制限の厳格化などを実現した。

昔のダバオでは考えられなかった24時間営業のコンビニエンスストアや飲食店も増えた。市民は「安心して暮らせるようになったのはドゥテルテ氏のおかげ」と口をそろえる。

ダバオ市長としての圧倒的な人気は、一向に減らない犯罪や汚職に不満を募らせていたフィリピン国民全体に広がった。

当初、ドゥテルテ氏は16年5月の大統領選に出馬する可能性を否定していたが、待望論に押される形で立候補に踏み切り、地滑り的な勝利を収めた。

「まさか、お前が大統領になるとは思ってもみなかったよ」。

学生時代のドゥテルテ氏は、リーダーになるタイプではなかったと話すアンヘレス氏。16年6月30日の大統領就任直前に会って声をかけると、ドゥテルテ氏はこんな言葉を返したという。「俺もだよ」

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