「俺が碑を建てる」日比交流に尽力 支持率8割、素顔のドゥテルテ大統領(3)

 

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あの碑はドゥテルテ大統領のポケットマネーで建てたんだね。

どこぞのセコい役人や政治家も見習って欲しいね。┐( ̄ヘ ̄)┌

 

ソース元

フィリピンのドゥテルテ大統領の地元、ダバオ市を1月13日に訪れた安倍晋三首相を人々は熱烈に歓迎した。盛り上がりを見せたのは、首脳が訪問したからだけではない。ダバオ市と日本は100年以上に及ぶ深いつながりがあり、ドゥテルテ氏をはじめ親日家が多いからだ。

日本フィリピンボランティア協会(東京都調布市)の網代正孝顧問(77)は2013年春、ダバオ市のホテルで当時市長だったドゥテルテ氏と食事をともにした。

その年の初め、同氏が家族で日本に旅行で訪れた際に「雪を見たい」という娘の希望をかなえるため、長野県の受け入れ先を探すなど協力した。

ドゥテルテ氏(右から2人目)は安倍首相(左)を自宅に招いて歓談した(1月13日)

 

返礼で会食の場を設けたドゥテルテ氏に網代氏はこう提案した。

「日本とフィリピンの関係がより発展することを願って碑を建てたいと考えています」。ドゥテルテ氏は即答したという。「それはいい考えだ。オレが建てるから、後は任せてくれ」

 

予算から支出せず、ポケットマネーで

記念碑は市内のミンタル地区にある墓地の一角に、わずか半年ほどで完成した。行政手続きを任された同地区を率いるラモン・バルガメント氏(46)は「市の予算から支出するかと思ったら、市長がポケットマネーで払うと言ったので驚いた」と振り返る。

手続きが迅速に進んでいるか、いつも進捗状況を気にかけていたという。

記念碑は「無憂の碑」と名付けられ、ドゥテルテ氏が選んだ「人類は皆家族」という言葉が刻まれた。

13年10月の除幕式には、マニラに出張していたドゥテルテ氏がダバオの空港からヘリコプターに乗って現地に駆けつけ、「日本とフィリピンはお互い助け合っていこう」とあいさつを述べた。

日比友好の記念碑の除幕式であいさつするドゥテルテ氏(2013年10月)=日本フィリピンボランティア協会提供

 

ダバオと日本のつながりは1900年代初めに遡る。日本人の一団が入植し、その1人の太田恭三郎氏が栽培を始めたアバカ(マニラ麻)が大型船用ロープの材料として売れ、ダバオは名産地として発展した。

多くの人がとどまるようにとの思いで名付けられた「民多留(ミンタル)」地区は「リトルトーキョー」とも呼ばれ、学校や病院などが集まる日本人町がつくられた。

一時、日本人の移民は約2万人に拡大。台風や干ばつなど自然災害や、日本人差別などの苦難を乗り越え、現在の主産業である農業の基盤を築き上げた。

41年に太平洋戦争が始まり、日本軍はフィリピンに侵攻。ミンダナオ島も激戦地となり、双方に甚大な数の犠牲者が出た。こうした悲惨な歴史がありながらも、ダバオ市挙げて安倍首相を歓待したのは、日本人移民が積み上げた貢献と、子孫である日系人のおかげだ。

戦後、日本が手厚い経済協力をしてきたことも大きい。国際協力機構(JICA)などがインフラ整備に取り組み、イスラム系武装組織との和平交渉プロセスを支援。ミンダナオ島への支援額は1500億円を超える。

「ダバオ発展は日本の支援があったから。日本人移民が開拓して礎を築き、戦後も政府開発援助(ODA)などで助けてくれた」。

比日系人会連合会のマリャリ・イネス会長(45)は、ドゥテルテ氏が市長時代にこう話していたことを覚えている。「厳しいイメージがあったけど、日本人や日系人にはいつも優しく接してくれたわ」

 

東日本大震災では被災者受け入れを表明

ドゥテルテ氏は11年の東日本大震災の直後、被災者をダバオ市で受け入れる用意があると表明した。

大統領となった後の16年12月にはダバオ領事事務所が開いた天皇誕生日を祝う会に出席し、先の大戦の出来事には触れずに「100年以上に及ぶ日本、日本人とのつながりは特別だ。

これからも大切にしたい」と述べた。親日家ドゥテルテ氏の言葉はフィリピン国民に徐々に浸透しつつある。

ダバオ市長に選出された頃のドゥテルテ氏(右端、ダバオ市で)=日本フィリピンボランティア協会提供

 

時の流れとともに、ミンタルにあった日本人学校などは取り壊され、日本人墓地も十分な手入れが行き届かなくなり、かつてのリトルトーキョーの面影は薄れた。

バルガメント氏は日本人観光客の誘致もにらんで、史跡を保存、復元する計画を市に提案。このほど予算が承認された。

ドゥテルテ氏は「史跡は日本とフィリピンの強固な関係を示すものだ。ぜひやってくれ」と後押ししたという。ドゥテルテ大統領の誕生により、日本とフィリピンの関係は新たな時代を迎えている。

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