東海道新幹線50周年 初代運転士が明かす秘話

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10月1日に開業50年を迎える東海道新幹線。最高時速270キロメートルの高速鉄道でありながら高い安全性や正確性が世界で高く評価されている。49年間で死亡事故はゼロ。悪天候や事故の影響も含めた遅延時間は平均で1分を切る。車両や設備の技術力だけで実現しているわけではなく、現場の運転士が持つ技術や彼らの絶え間ない努力のおかげもある。

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フロントマスクの見た目から「団子っ鼻」と呼ばれた初代新幹線0系=にわあつしさん提供

その一人が「団子っ鼻」との愛称が懐かしい初代0系の運転士を務め、現在は旅ジャーナリストのにわあつしさん。自著「東海道新幹線 運転席へようこそ」(新潮文庫、税別520円)では、現場で奮闘する新幹線運転士のエピソードや裏話を紹介している。子どもたちのあこがれの的である新幹線の運転士という仕事の醍醐味はどこにあるのか。初代と最新型の車両の違いなど、新幹線の魅力も含めて存分に語ってもらった。

■ホームで電車を止める瞬間がたまらない

 新幹線 2

 ──初代0系と最新型N700A。運転士の仕事に違いあるのですか。

「新幹線運転士の仕事は、速度を制御する『マスコン』を操作しながら速度調節していくことです。ATCにより『210』『70』などの速度上限が運転台に表示されます。運転士はこの指示を受けながら、速度計やブレーキ圧力計などに注意を払い、マスコンやブレーキを操作して、五感をフルに使いながら時間とほかの列車の状況を照らしつつ運転します」

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にわあつしさん 1951年静岡県生まれ。高校卒業後、日本国有鉄道(国鉄)に入る。87年の分割民営化直前まで新幹線の運転士を務めた。退職後は鉄道と旅行をテーマに、ライターや写真家として活動している。63歳

「現在は新しいATCシステムが導入され、運転台の情報パネルに先行列車の位置が表示され走行状態も分かるようになりました。N700Aなどでは、先行列車の走行データを拾い、車間距離をチェックしながらその都度速度を計算。ディスプレーに表示します。運転士はデータを確認しながらマスコンのレバーを操作します。起動時の加速力も高まり、多少の遅れが出てもリカバーできるようになりました。運転士は指示に従いながら操作するので、0系に比べると運転は精神的に楽になったと言われています」

 

「最も面白くもあり緊張もする瞬間は、ホームに入り電車を停止させる瞬間です。右手に握ったマスコンを調整しながら、徐々に速度を落としていきます。停車駅の5キロ前から段階的に速度を落とすため、『160』『70』『30』のように信号が表示される地点がいくつか現れます。左手で握ったブレーキは、1回制動させたら2回は緩める、というのが基本です。止めるという作業は自動車と同じですが、1000人以上が乗っている新幹線で一度にブレーキをかけてしまえば、乗客にショックを与えてしまいます。停止標識をめがけて慎重に、ブレーキとマスコンを駆使して細かく調整していくのです」

 

「でもただ単に速度を緩めていけば良いわけではありません。例えば名古屋駅の場合、大阪方面に少し下りの勾配があります。さらに、車内ががらがらの場合と満員の場合で、ブレーキのきき具合も全く違います。(揺れないようにぴったり止めるには)練習と経験を積み重ねるしかありません。乗車人数や気象条件、各駅のホームの特徴を体で覚え、調整していきます。私も運転士になりたてのうちは失敗して、停止位置を通り過ぎてバックして戻ったことが何度かありましたね」

 

国鉄職員にとって初代新幹線の運転士は魅力的だった

 ――初代新幹線の運転士という存在は、世間からはどう見られていたのでしょう。

「当時は新幹線運転士という職業は世間から見てもあこがれの的でした。蒸気機関車の機関士など、在来線に勤務していた運転士が続々と新幹線運転士に転籍して来ていて、国鉄の職員から見ても魅力的な職種だったようです。東京駅のホームではよく、子どもたちに写真撮ってくれとせがまれたものです。わたしたちもうれしいですから運転台に連れて行き、帽子をかぶせて写真を撮ってあげました。今はセキュリティーやらコンプライアンスやら厳しくて、こんなことはできませんが……」

「運転中に車内販売の女性販売員を運転席に呼んで、景色を見せてあげたり、話したりすることもよくありましたね。今は運転士は1人ですが、当時のひかりは新大阪まで2人で乗務していたからです。同僚が運転している間、私は女性とお話ができたのです。今でこそ女性運転士が増えていますが、当時は国鉄内の女性は皆無。運転士と販売員が結婚するなんてこともよくありました」

「昔こんな先輩がいました。午後7時半すぎに東京を発車するひかり号に、ある先輩と乗務したときのこと。出発するなり先輩が『きょうは花火大会を見るぞ』と言うんです。」

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にわさんが執筆した「東海道新幹線 運転席へようこそ」(新潮文庫、税別520円)は2部構成。前半は1978年春に若手運転士が東京から新大阪まで0系を運転。後半は2013年春にベテラン運転士が新大阪から東京までN700Aを運転する様子を描く。運転士の仕事の実情や人間模様、裏話などが満載。N700Aの運転業務は現役運転士に取材を敢行し、忠実に再現しているという

 

「確かにこの日、熱海では花火大会が開かれる予定でした。先輩は徐々にスピードを上げ、小田原付近までをダイヤより4分早く通過しました。そして熱海付近をのろのろと30キロほどで走りました。おかげで私たちはともかく、乗客のみなさんも海上に上がるきれいな花火を見ることができました」

「実は新幹線もほかの鉄道と同様、遅れなどが生じることを見越してあらかじめ余分に時間がダイヤに与えられているんです。これを『余裕時分』というのですが、先輩はこれを使って最高速度ぎりぎりで熱海まですっ飛ばし、花火を見る時間を捻出しました。その結果、熱海駅の通過は5分遅れでしたが、その後は飛ばして帳尻を合わせ名古屋には定刻通りに着きました」

「こんなことは今はできませんよね。当時は運転本数が少ないダイヤでした。今は1時間に最大15本が発車するので、線路にはたくさんの車両がひしめいていて、ほとんど余裕時分はありません」

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0系を運転するにわあつしさん(本人提供)

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──50年の歴史で、運転士の役割はどう変わっていきましたか。

「国鉄時代とJR時代で、そもそも運転士になるまでの採用手順が違います。国鉄時代は運転士や車掌、電気関係など、職種により4形態に分けて採用していました。学校を卒業してから受ける試験が違い、その時点で自分の鉄道マンとしての道が決まってしまった。運転士なら雑用から始まり、修理などの技能をたたき込まれます。こうして電車のことはすべて分かっているスペシャリストに成長していくわけです」

「JRになってからは、最初は駅に入って勤めることが多いようです。その後は車掌の仕事をして、何年かして運転士の試験を受けられるようになる。いきなり運転士にはなれないのです。オールマイティーで一人をいろんな分野で使えるように仕事をさせるようになりました。今は車両の性能が優れてきているので、運転士の仕事は『運転』というより、運転を『管理』するという感じでしょうか」

 

■新幹線は安全システムとセットで世界に売り込め

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──日本の鉄道が優れている点はどこにありますか。

「前後の車両の状況や線路の線形などを列車自らが演算して走る『新ATC』システムこそが、日本が世界に誇るべき技術です。4分に1本がひっきりなしに走る新幹線のすごさは、どの国の人も驚きます。安全性、新幹線の良さを感じてもらうなら、ATCシステムも含めて一貫して買ってもらうべきでしょう」

「日本の鉄道はデザインがいまいちとの指摘もありますが、私はそうは思いません。例えば東北新幹線『はやぶさ』は色がカラフル。私は旅ジャーナリストとして欧州を年に数回定期的に訪ねて、鉄道を乗り尽くしています。JRになってからは、日本の車両デザインは決して欧州に負けていないように変わったと思います。ただ、いろんな人種がいて生活習慣が違う人が一緒に生活しているので、どの国の人でも使いやすい仕様にカスタマイズしていく必要はありそうです」

 

■リニア登場後も、運転士の役割は変わらない

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──自動化が進むと、いずれ運転士という仕事はなくなるかもしれません。

「東海道新幹線は、完成に10年かかるところを5年間で作った急ごしらえの構造物です。かなり無理している部分があるのも事実です。開業後2年間は、想定されていなかった様々な問題が起こりました。そうした故障や修理を経験して、今の安全な新幹線ができたわけです」

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新潮社によると、本書は全国の大型書店のほか、東海道新幹線の沿線の駅構内の書店にも店頭販促(POP)を立てて販売強化中。鉄道関連のテーマを文庫書き下ろしにするのは珍しいという。約200ページと読みやすいので「新幹線の出張中に気軽に読んでほしい」とにわさん

「例えば走行中に雨がものすごく降ると、砂利が水を吸って線路がたわむときがあります。そうするとそれを見た運転士は、指令所に報告します。『ドクターイエロー』と呼ばれる電気試験車が現場を走ってチェック。そして夜中に直す。それを繰り返すことで、安全運転を保ってきました。確かにN700Aなら自動運転に近いことができますが、すべて自動化したらドクターイエローがしょっちゅう走っていないと立ちゆかなくなる。五感をフル活用する運転士がいなくなることはないでしょう」

「東京から大阪まで、リニアだと1時間。でも1時間で行く必要性はどこまであるでしょうか。トンネルが多くて富士山もあまり見えないでしょうし、単なる移動手段にしかならない。欧州は周りの景色を見ながら旅も楽しめるよう、車両を工夫しているケースが多い。JR九州の『ななつ星』のように、日本でも近い発想の車両が出てきましたが、まだまだ旅を主眼にした列車が少ないのが実情です。リニアでは旅をしたい人の欲求には応えられません。新幹線がそうした人々を取り込むのではないでしょうか」

■インタビューを終えて

子どものころ、家族旅行で熱海の温泉旅館に行くときに、初めて新幹線に乗ったときの興奮がいまだに忘れられない。私の幼稚園の卒業アルバムに書かれた将来の夢は「しんかんせんのうんてんしゅさんになる」だった。そして今も新幹線にあこがれる子どもたちは健在。ドクターイエローを見かけようものなら、子どもも大人も歓声を上げる。新幹線はいつの時代も日本人の夢を運んでいるのだ。

開業して50年の間、事件や事故を経験し技術は磨き上げられた。その背景には、現場で汗を流す運転士の姿があった。リニア新幹線のようにいくら自動運転が可能になっても、安全を守る技術は人間の五感にはまだまだ追いつかない。にわさんの話を聞き、職人としての運転士の誇りを垣間見た。

 

 

 

 

 

 

大橋東洲 プロフィール(学生時代)→ こちら

大橋東洲 プロフィール(社会人から、なぜセブ島へ?)→ こちら

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